■ひと 元野球選手・伊勢海老専門店店主 伊勢大夢さん(30歳)
2028年、日本シリーズ初戦。
ベイスターズの主砲・牧とロッテのエース・佐々木という対決を、TVでじっと見つめる男がいた。伊勢大夢さんだ。
「凄いですね…」感嘆しながらも、どこか寂しげだ。
「今でも時々夢を見るんですよ。僕があの舞台に立つ夢をね。大観衆のファンが僕のマウンドを迎える。こんなことを言ったら笑われますけどね」
●明治大を経てKDDI(元DeNA)に入団。ハマの防御率0点のセットアッパーとして球界を席巻したが、3年目夏場から極度の不振になった。
一軍の壁は厚く全く通用しなくなり、肘や膝の故障などもあって退団した。
「僕あの年投げすぎたでしょ?それで故障してしまってね。肩が壊れて体にキレが無くなって再び故障してしまったんです。」
その後は自らの故郷である熊本に戻り、地元チーム入団したが、ここでも目立った活躍はできず29歳でユニフォームを脱いだ。引退後は九州や日本各地での料理修行を経て、今は熊本市で九州初の伊勢海老専門店を営む傍ら、地元の少年野球団のコーチを勤めている。
●「いらっしゃいませ!」熊本駅東口から歩いて30分。「伊勢の伊勢海老」の青色の暖簾をくぐって店内に入ると、タオルを頭に巻いた伊勢さんが威勢のいい掛け声で迎えてくれた。
「4月にオープンしました。暖簾の『伊勢の伊勢海老
』という文字はラミレス監督が左手で書いてくださったんです。開店に合わせてスポーツ紙やテレビでも取り上げてもらったおかげで、県外から足を運んでくださるお客さんが多かったのは嬉しかったですね」「よく蛯名も食べに来てくれるんですよ、僕と二人で伊勢蛯コンビなんて言われましたね。
彼は青森で漁師として元気にやってます。そうそうこの海老も蛯名が送ってくれたんです、ありがたいですよね。」
●かつての「夢」だった野球への思いを聞かれると――。
「ベイスターズやっと優勝ですね、ラミレス監督におめでとうと言いたい、第一期のラミレス監督の時は大事に使ってもらったんですけどね」とうつむいた。
「僕も名前の通り大きな夢を叶えたかった、でも監督やコーチに行けと言われたら投げなきゃいけないんで投げましたけど、神宮球場での試合後に肩が悲鳴を上げてしまいました。握力が無くなりマンションのエレベーターのボタンが押せず海老反りになり失神してしまいました。同じマンションの牧に助けてもらいました。牧も夏バテで疲れてたみたいですけど。
当時の監督だった三浦さんは奈良の盆地育ちで暑さに鈍感なんですよね。
怪我さえ無ければって…。
もう現役に未練はありません。今は世界一の選手を育てるのが、野球人としての僕の夢です」
その目はずっと遠くを見据えていた。
(写真)看板メニューの伊勢の伊勢海老反り定食を手に笑顔の伊勢さん
■ひと 元野球選手・理容店店主 牧秀悟さん(30歳)
2028年、日本シリーズ第7戦。
ベイスターズのフェラーリ・森とロッテのエース・佐々木という対決を、TVでじっと見つめる男がいた。牧秀悟さんだ。
「凄いですね…森、僕と二遊間を組んでいたんですよ」感嘆しながらも、どこか寂しげだ。
「今でも時々夢を見るんですよ。僕があの舞台に立つ夢をね。大観衆のファンが僕のホームランで歓喜する。こんなことを言ったら笑われますけどね」
●中央大を経てありあけ(元DeNA)に入団。ハマのおっさんとして球界を席巻したが、3年目夏場から極度の不振になった。
三冠王候補と言われ絶好調の前半戦を折り返す頃、一軍の球が全く打てなくなり、膝の故障などもあって退団した。
「僕あの年調子に乗ってたでしょ?ロッテとの試合で
満塁でノーストライクスリーボールから打ちに行ってゲッツーになってからおかしくなったんです。
あの時は監督からの信頼も厚く最終試合まで四番を打たせてくれたんですけど成績は散々でした。
それで故障してしまってね。膝が壊れて体にキレが無くなって再び故障してしまったんです。」
その後は自らの故郷である長野に戻り、地元チーム入団したが、ここでも目立った活躍はできず29歳でユニフォームを脱いだ。引退後は横浜の理容学校に入学し実家の理容店での修行を経て、今は長野市で理容店を営む傍ら、地元の少年野球団のコーチを勤めている。
●「いらっしゃいませ!」長野駅西口から歩いて30分。「パーママキ」の青色の暖簾をくぐって店内に入ると、牧さんが威勢のいい掛け声で迎えてくれた。
「4月にオープンしました。暖簾の『パーママキ』という文字は三浦大輔元監督が左手で書いてくださったんです。開店に合わせてスポーツ紙やテレビでも取り上げてもらったおかげで、県外から足を運んでくださるお客さんが多かったのは嬉しかったですね」「よく三浦さんも来てくれるんですよ、リーゼントにしてくれと言われてもパンチパーマをかけちゃって怒られました。
三浦さんは奈良のポニー牧場の支配人として元気にやってます。そうそうこの馬革の靴も三浦さんが送ってくれたんです、ありがたいですよね。」
●かつての「夢」だった野球への思いを聞かれると――。
「ベイスターズやっと優勝ですね、筒香監督におめでとうと言いたい、森カッコいいなぁ、嫁さんは小芝風花だし、僕はまだ独身ですけど」とうつむいた。
「僕も大きな夢を叶えたかった、でも監督やコーチに四番を指名された以上打てなくなっても四番の重圧からは逃げられないんです、神宮球場での試合後に膝が悲鳴を上げてしまいました。マンションの階段を登れなくなり失神してしまいました。同じマンションの伊勢に助けてもらいました。伊勢も夏バテで疲れてたみたいですけど。
当時の監督だった三浦さんは奈良の盆地育ちで暑さに鈍感なんですよね。
怪我さえ無ければって…。
もう現役に未練はありません。今は世界一の選手を育てるのが、野球人としての僕の夢です」
その目はずっと遠くを見据えていた。
(写真)スターナイトの襟付きユニフォームを着て笑顔の牧さん