この慶長5年10月6日の伊達による対上杉掃討戦に、
家康は非常に満足していた。上杉は三百名ほどを野戦で
討ち取られ、信夫山まで攻め込まれている。更に庄内では
最上の草刈り場と貸したため、上杉は、島津などとは
違って、組みやすい相手との認識を一層深めている。
直江が平謝りして土下座をしたため、政宗の第二次侵攻も
中止となり、かろうじて命拾いをしている。